1月に、篠原初美さん(写真左)に分けていただいたぬか床、なんと、今度は私が分けるほう!。
築上町内の田中さんと養子縁組し、ぬか床3代で写真をとりました。養子縁組では、こんなふうに、最後にはみんな縁組した人と写真をとります。
久しぶりに初美さんにお会いでき、なんだか本当に里帰りしたみたいにうれしかった。
ぬか床をお分けした田中さんとは、ぬか床談義+よもやまばなし。「私が子どもを産んだのも、39歳よ」「えっ?そうなんですか?私もがんばります」なんて調子でもりあがりました。田中さん、うちの床は、ぬか床界のサラブレッドなんです。なんたって、神吉さんの100年床と、初美さんの50年床のミックスですから。かわいがってあげてくださいね。
ぬか床養子縁組
「祖母の代から受け継いできたぬか床を分けるということは、
大事な子を養子に出すようなもの」。
そんなお母さんたちの思いから名づけられた「ぬか床養子縁組」も、
二回目を迎えた。古くから「ぬか漬け」の文化を守る福岡県築上町でのことだ。
実行委員会で、床を分ける人、もらう人を呼びかけ、
今回は七組の縁談がまとまった。
自己紹介のあと、ぬか床を受け渡し、手入れの方法などを語り合う。
ぬか床談義でひとしきり盛り上がっていると、
築上西高校家庭科クラブの高校生が、授業を終え、
床を抱えてやってきた。
「大切に守ってきたぬか床を、今度は私たちがお分けします」。
一段と大きな拍手がわき起こる。笑顔、笑顔のおめでたい日。
かえりがけ、私のぬか床の母である篠原初美さんに、
持参した床を見てもらった。
私自身、一〇カ月前に床をいただいて以来、
泊まりがけの仕事の時には、車のトランクに積み、
長期出張では母に預けて、毎日かき混ぜてきたのだ。
「色も、香りもいい。これを漬けて帰りなさい」そ
う言って初美さんは、青く輝くハヤトウリを小さなぬか床に沈めてくれた。
(西日本新聞夕刊2007年12月2日号に掲載)
「祖母の代から受け継いできたぬか床を分けるということは、
大事な子を養子に出すようなもの」。
そんなお母さんたちの思いから名づけられた「ぬか床養子縁組」も、
二回目を迎えた。古くから「ぬか漬け」の文化を守る福岡県築上町でのことだ。
実行委員会で、床を分ける人、もらう人を呼びかけ、
今回は七組の縁談がまとまった。
自己紹介のあと、ぬか床を受け渡し、手入れの方法などを語り合う。
ぬか床談義でひとしきり盛り上がっていると、
築上西高校家庭科クラブの高校生が、授業を終え、
床を抱えてやってきた。
「大切に守ってきたぬか床を、今度は私たちがお分けします」。
一段と大きな拍手がわき起こる。笑顔、笑顔のおめでたい日。
かえりがけ、私のぬか床の母である篠原初美さんに、
持参した床を見てもらった。
私自身、一〇カ月前に床をいただいて以来、
泊まりがけの仕事の時には、車のトランクに積み、
長期出張では母に預けて、毎日かき混ぜてきたのだ。
「色も、香りもいい。これを漬けて帰りなさい」そ
う言って初美さんは、青く輝くハヤトウリを小さなぬか床に沈めてくれた。
(西日本新聞夕刊2007年12月2日号に掲載)
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