悩んでいるときや、元気のないとき、友達のようにそばにいて励ましてくれる本があります。大分県竹田出身の詩人であり、童話・童謡作家である佐藤義美さん(1905〜1968)のこの本もその中の一冊です
まえがきに「この本は、小学生が よむ 詩読本ですが、詩だけを よむのでは なくて、詩と、詩の あとの ひひょうの 文=詩の つくり方の ための 文とを、てらしあわせてよむ 詩読本です。この本を よめば、詩が わかって、詩を つくれるように なる、その ための 詩読本です」(原文ママ)
とあります。
昭和26年に河出書房から発行されたこの本は、当時の「毎日小学生新聞」に掲載された小学校1年生から6年生までの詩を、義美先生が選び、批評をつけたものです。
まえがきに「この本は、小学生が よむ 詩読本ですが、詩だけを よむのでは なくて、詩と、詩の あとの ひひょうの 文=詩の つくり方の ための 文とを、てらしあわせてよむ 詩読本です。この本を よめば、詩が わかって、詩を つくれるように なる、その ための 詩読本です」(原文ママ)
とあります。
昭和26年に河出書房から発行されたこの本は、当時の「毎日小学生新聞」に掲載された小学校1年生から6年生までの詩を、義美先生が選び、批評をつけたものです。
いつの世も、子どものつくる詩はすばらしい。そして子どもたちの気持ちにより添って、ある時は子どもの貧しい暮らしを気遣いながら、またある時は、やんちゃな子どもたちの言動に眼を細めながら、義美先生は、詩を通じて「生きる」ことを、子どもたちと一緒に考えます。
巻末には、「詩は どうやって つくるか」という、詩作についての手引きも掲載されています。詩作についての心構えと技術的なことを、子どもたちにわかるようにていねいに指導されています。その中で義美さんは、こう語っておられます。
「みなさんは、ほんとうは、詩なんか、かかなくても いいのです。ふだんの 生活が、しっかり して いれば いいのです。その 人は、詩は かかないでも、詩が わかって いる 人 だからです。
みなさんは、おとなに なってから、詩を かいて、それで おかねを 手に いれて、生活するのでは ありません。いろいろな しごとを して 生活するのです。 だから、小学生のとき、(字であらわす)詩をかくのは、(字であらわさない)詩が、わかる ために かくのです。(中略)みなさん ぜんぶが 詩が わかって いたら、みなさんが おとなに なった ときには、すみよい よの 中に なります。そうして、にんげんに 生まれて きて、たのしかったな、とおもうように なります」
私は、小学生の時から、文章を書くのが好きで、大人になってからは、それでお金を手に入れて生活しています。文章を書くことでどうしても悩んでしまうとき、私は義美先生に、詩をならうために、この本を開きます。眠れないときは、義美先生の夜間授業を受けるのです。
今日、義美先生と一緒に勉強した詩は、昭和25,6年頃でしょうか、当時小学校1年生だった鹿児島の女の子がつくった詩です。
とくみちにいさん
たわら・せつこ(鹿児島大村校)
とくみちにいさんは
シベリヤから
かえって きました
トラックに のって
かえって きました
トラックの 上は
日のまるのはたで
きれいでした
とくみちにいさんの
かおが
はたの なかから
わらって いました
この詩を義美先生の指導された文章と一緒に読んでいたら、日付が変わっていました。
今日は8月15日ですね。
私たちの平和は私たちのものではない。
先人から、受け継ぎ、次につたえていくものです。
この本は、2001年に、大分県竹田市の朝日印刷さんから発行された復刻本です。
竹田でお世話になった方にいただいたものです。私の人生になくてはならない本になりました。
竹田市には、佐藤義美記念館もあります。興味を持たれた方は訪れてみてください。
巻末には、「詩は どうやって つくるか」という、詩作についての手引きも掲載されています。詩作についての心構えと技術的なことを、子どもたちにわかるようにていねいに指導されています。その中で義美さんは、こう語っておられます。
「みなさんは、ほんとうは、詩なんか、かかなくても いいのです。ふだんの 生活が、しっかり して いれば いいのです。その 人は、詩は かかないでも、詩が わかって いる 人 だからです。
みなさんは、おとなに なってから、詩を かいて、それで おかねを 手に いれて、生活するのでは ありません。いろいろな しごとを して 生活するのです。 だから、小学生のとき、(字であらわす)詩をかくのは、(字であらわさない)詩が、わかる ために かくのです。(中略)みなさん ぜんぶが 詩が わかって いたら、みなさんが おとなに なった ときには、すみよい よの 中に なります。そうして、にんげんに 生まれて きて、たのしかったな、とおもうように なります」
私は、小学生の時から、文章を書くのが好きで、大人になってからは、それでお金を手に入れて生活しています。文章を書くことでどうしても悩んでしまうとき、私は義美先生に、詩をならうために、この本を開きます。眠れないときは、義美先生の夜間授業を受けるのです。
今日、義美先生と一緒に勉強した詩は、昭和25,6年頃でしょうか、当時小学校1年生だった鹿児島の女の子がつくった詩です。
とくみちにいさん
たわら・せつこ(鹿児島大村校)
とくみちにいさんは
シベリヤから
かえって きました
トラックに のって
かえって きました
トラックの 上は
日のまるのはたで
きれいでした
とくみちにいさんの
かおが
はたの なかから
わらって いました
この詩を義美先生の指導された文章と一緒に読んでいたら、日付が変わっていました。
今日は8月15日ですね。
私たちの平和は私たちのものではない。
先人から、受け継ぎ、次につたえていくものです。
この本は、2001年に、大分県竹田市の朝日印刷さんから発行された復刻本です。
竹田でお世話になった方にいただいたものです。私の人生になくてはならない本になりました。
竹田市には、佐藤義美記念館もあります。興味を持たれた方は訪れてみてください。
コメント
コメント一覧 (2)
いたので、ここに来てよかった。
せつこさんの詩をみんなで読んでみるね。
私は、戦中、戦後を生きた人に身近に接して
きたけれど、子どもたちにその空気を伝え
きれていないなあ。
&「今」の戦争にも関心を払って欲しいなあ。
普段の生活がしっかりしていれば詩はかかなくて
いいってところで、
「音もなく香もなく常に天地は書かざる経をくりかへしつつ」
って言葉を思い出したよ。
暮らしを切り取って詩にすると、経が浮き彫りに
なるからね。
津屋崎の親戚のおじいちゃんを訪問したときに
そのおじいちゃんが、ビルマ(現ミャンマー)から、生還したことを知りました。今までしらなかったのです。
おじいちゃんは、涙を流してお話してくれました。
老人クラブの会報に書いたら、たくさんの人から電話がかかってきて
「私も同じ経験をしました」と言われたそうです。
一緒に泣いたそうです。
おじいちゃんに、学校の通信に書いたり、子ども達にもできれば伝えてくださいとお願いしてみようかと思います。
つらい経験ではあると思いますが。
暮らしを切り取って詩にすると、経が浮き彫りになる
いい言葉ですね。
経というのは、そのようなことなのですね。
いいえ、暮らすということが、経のようなものなのかも