旅の人、イネを刈る屋上でひとり、ペットイネを刈り取る旅の人。
幼稚園に入る前、両親も祖母も田畑に出て働いていたので、曾祖母に守りをしてもらっていたのですが、
それでも退屈して、よく、近所の裏山(里山)にひとりでてくてく歩いて遊びに行き、半日を過ごしていました。

幼稚園に行っても、それは続いて、雑木林の中のつるにつかまってターザンごっこをして、落ちたら、そのまま落とし穴みたいなところにはまって滑り台みたいに、2、3メートル。
落ちたところには、椎の実がいっぱいで、驚喜したり…。

ひとしきり遊び、夕方帰る頃、山を抜けて上から家を見下ろせるところに、阿弥陀様がいて阿弥陀様は子どもの頃よくおがんでいました。
大人がおがんでいたから。
その阿弥陀様のところから家を見下ろすときにするのが、旅人ごっこ

「ああ、また知らない村に来てしまったなぁ。おや?あそこに、とってもいい感じの家がある。きっと親切な人がいて、軒先をかしてもらえるにちがいない。今日はあそこに泊めてもらおう」

そうやっておうちに帰る遊びです。

毎日毎日変わらない農村風景の中で、子どもなりに目先を変えたかったのでしょうか?

でもこの性癖はなかなか直らなくて、高校の時に、勉強ができず、居残りで勉強させられて、その結果、部活にいくのがいつも遅れて、部活でも気詰まりで…不登校になりかけたことがありました。

どうしても学校に行きたくなくて、学校近くのバス停まで行き、そのまま、家の方向に戻るバスに乗って、家を通り過ぎ、小学校近くの松林や、ゴルフ場近くの松林にいきました。

幼稚園や小学校で遠足に行った場所でした。
松林の中に隠れて、ラジオを聞いたりして1日を過ごしました。

「ああ、もう旅は疲れたから、今日はこの浜辺の松林で一日を過ごします」
そんな設定で1日を過ごしました。

大学で東京に出て、10年後に戻ってきて、それから本当に、村村を歩く仕事についてしまいました。
実家にいることはせず、山間の村で暮らしたり、今は、街に家を構えています。

ひとつの土地に根ざし、作物を育て、稲を刈ること、自らの暮らしを、自らの手でつくることは永遠の憧れです。
しかし、それも積み重ねと技術がいることです。

まだまだあちこちの土地へ行き、お話しを聞かせてもらい、何かしらのできることをする仕事は続くでしょう。

でも、そんな旅の人の役割があるとしたら、真摯にそれをやっていきたい。
あの旅の人、面白い話を聞かせてくれたね。ここでも役に立ちそうだね。
そんな世界があるんだね。
って言ってもらえるような。
村から村へ。街から村へ歩きながら、土地土地の人の話を語り継いでいけたら…。
たいした役には立たないけど、そんなふうにしか生きられないのかもしれません。
これから先は、学校や、子どもたちのところもまわりたい。
というのが、今のゆめです。

そんな根無し草の暮らしにも、喜びがあって、それは行く先々で出会い、一緒にお仕事をする方々と過ごす時間です。
何度も通うところでは、時々、ここに住んでしまいたいと思ってしまう。できないけど。

遠く、祖先の宗像の海士も、家舟に乗って、日本海を北上しながら、潜水の技術を教えるかわりに、漁をし、舟をつけさせてもらっていました。そのまま住み着く人もいたようです。
借りた土地に、ふるさとの地名をつけて。